STARLIKEの文章あれこれ
主人公・節子の縦書モノローグと、ハムスタアの横書モノローグによって描かれるSTARLIKEのストーリーパート。
原稿用紙のフレームによる演出が特徴的ですが、これは語り手が実際に書き記している、というイメージではなかったりします。節子はいいとしても、ハムスタアはさすがに日記を書けないので当然ですが。
それに節子も読み書きが達者とはいえ、モノローグではかなり難しい言い回しを使っていたりします。なので、これは翻訳である、というスタンスで書いています。彼らの考えを訳者の手で翻訳し再編しているというイメージです。
STARLIKEという作品は私自身どうにも「作っている」という感覚があまり無く、「掘り出している」というイメージを抱いて製作しているのでそういう言い方になるのかもしれません。
…などと書いておきながら、第壱話初っ端モロに日記風な演出から始まっているのはご愛嬌。序盤ひらがなを若干多めにしているのも、つまり見切り発車で翻訳方針が固まっていなかったんですね。
というか当初は絵をクレヨン画で描くとかいうブッ飛んだ構想もあったくらいなので。
訳者の解釈が極端に振れると、そういうおかしな方向に走る危険もあるわけです。
クレヨン画で絶対量刑とか、一体どんなことになるんでしょう…。
森広
クレヨンを脳天に撃ち込まれる銃殺刑。