本
- 2021/11/01 02:44
- カテゴリー:雑記
数年前、大掃除の際に紙の本を処分して全て電子に移行する、ということをやってみた。
一度極端に振れてみて、どうなるのか試してみようという思惑だった。
電子書籍は場所を取らないし複数端末からアクセス出来るしで、基本的には便利で万々歳だなと、しばらくはそう思っていた。
しかし、全て電子に置き換えるのはやはり無理があるな、というのが今の所の結論である。
電書でも紙の本でも、文字を読み取るという行為そのものは同じはずだが、明らかに読書体験に差がある。
便利な汎用端末に入ったテキストデータのファイルを閲覧するということと、不便な専用媒体を手に取ってページをめくるということは、全く別の体験のように感じられる。
それは、読み手のモードが違うからだ。
紙の本──いや、材質は何でも良いのだが、固有の物理メディアと一対一で向き合うということが、体験を濃くしている。
以前のブログ記事で、映画は映画館で観たほうが良い的な内容を書いたのを思い出したが、読書についても同じようなことが言えると思う。
特に、没入が肝となる小説などは、読書環境としてのハードが意味を持つ。
何かの体験は、受け手のモードをそれ用に切り変えることがまず重要なのだ。
というか、映画についてそんな気付きを語っていた奴が、極端な脱・紙の本みたいなムーブをするなという話なのだが。
だってほら、オール電子とか憧れるじゃん!いずれは脳直でビビビとヤルる未来が!(たぶん来ない)
紙の本も大切よね、みたいな言説は、おそらくこれまでに散々擦られていることなんだろうと思う。
でも、実際に試してみて身体感覚として納得出来たのは収穫だった。
その本に対してどういうモードで向き合うつもりなのか、ちゃんと自分と相談した上で媒体を選択しよう。
しかし、モードの切り替えって、個人個人で能力差があるよなーとも思う。
環境や身体的な動作に頼らず、頭の中だけでカチッと切り替えが出来ちゃう人もいるんだろうなーとか。
結局、俺がポンコツなだけじゃんとか。あーあー。
haskey
未だに紙vs電子書籍について上手く結論が出せていなかったのですが, 凄くいい言語化だと思いました. 参考にします.