最終話の第11話は、第10話の末尾で「To be continued」の表示とならず、BGMがイントロで切れずにそのままフルコーラスで連続する、という演出で始まる。この演出は第1話を作っている最中に曲から思いついたもので、第10話の制作に差し掛かった際には「ようやく使う時が来たかー」と感慨深かったのを覚えている。なにせ第1話の段階ではゴールが全く見えないどころか、本当に完成するのかも怪しかったのだ。それなのに、早くも最終話で使う演出を妄想しているというのもアレな話だが。 しかしそんな感じで初期段階からクライマックスのことばかり妄想していたせいで、最終話は結構良い感じに作り込めたと思う。頭の中に詳細な設計図が既に組み上がっていたので、とにかくそれを忠実に再現するだけで良かったのだ。 が、その副作用で、作っていて全く楽しくないという問題もあった。ほぼ完全に作業のみの状態だったので、Kinoko制作マッスィーンとしても流石に鬱々とした気分になった。少しずつゴールに近付いている、ということだけが精神的な支えであった。 とはいえ、そうなると今度は「設計図通りじゃつまらん」病が発病し、なんだかんだで急遽新しいアイディアをねじ込んだりもした。リアルに嘔吐しながら作っていたのはこの辺りだが(何やってんだ)、作者は最早ランナーズハイともいえる境地に達しており、この期に及んで戦闘シーンの画面構成をいじったりとか、気合でラスボス曲長尺で2曲作ったりとか、「後は作業のみ」の現状に対する抵抗を試みた。「松茸」「桜茸」を投入したのも土壇場の思いつきで、松茸のデザインに至っては、頭がゆるゆるになっていたからこその閃き(?)だ。 ラスボスといえば、Kinoko3では「人間のラスボス」としてキースが最終話に立ちはだかるが、作者の感慨深さ的には「キノコのラスボス」よりこっちをいじっている時のほうが上回る。まさかKinoko1で出てきた「裏ボス」というキースに対する表現が、現実のものとなってしまうとは。あれが伏線だったとすると凄いが、もちろんそんなことはない。 しかし、ぶっちゃけ言うとアレは「キース」と「キーク」をひっかけた「機甲猟兵メロウリンク」ネタがやりたかっただけなのである。あの流れを作るためだけにキースが悪役化したといっても過言ではない。ということは、アレさえなければ初代主人公・安岡巧も酷い死に方をせずに済んだかもしれない……(死ぬのは変わらないだろうが)。 Kinoko3で最後の最後に作ったパーツはエンディング曲だった。 制作中期くらいにイントロだけ作っていたのだが、Kinoko3の曲作りで得た経験値を全て注ぎ込むつもりで、最後までとっておいたのだ。結果、Kinokoらしくもありつつ、かつガチャガチャせず、シンプルで良い曲に仕上がったと思う。本編通してのカオスを全て水に流せるような明るい曲、という当初考えていたイメージにも割りと沿うことが出来た。 しかし久しぶりにスタッフロールを再生してみたら、曲と絵の同期が盛大にずれまくり。どうやら、ループ命令を使ったアニメーション部分にウェイトを挟まなかったために、マシンスペックによって描画速度に相当な差が出てしまうようだ。今更直したものか、悩むところ。 (※2015/11/03 Ver.3.03 で同期の修正も行いました。)